車椅子生活になってから日本1周するまでの道のり

「日本1周」したいと思いませんか?日本人として生まれてきて富士山に登りたい・全国横断したいとかいろいろと欲望が尽きないものです。私は健常者だった学生の頃に富士山の山頂まで登ることができました。

 

単に若いというだけで急に思いつき「明日、富士山に登ろうよ!」と決めていざ決行した思い出があります。登ってからもう少し準備が必要だったと後悔したものの、気軽な気持ちでなかったら一生登ることがなかったと思っています。

一生車椅子生活の中で生きがいを見つけることの大切さ

その後、私は交通事故に遭って障害者となりました。そして一生車椅子生活と宣告を受けました。宣告を受けたときはもう一生終わりだと泣きまくったことを覚えています。それでも両親の言葉によって障害を受け容れることができました。

 

「今はおまえの脊髄損傷は治せないが、5・10年後は誰も分からない。5年前に今のような生活を想像できただろうか?想像できなかったはずだ。だから未来はきっと変わるはずだ。それまでおまえがするのはきちんと治療のための準備をしておくことだ。

 

まずはお金を貯めること。いつでも手術ができるような状態にしておくこと。そして手術ができる時に備えて身体を整えておくこと。そうすることできっと歩けるようになる。これがおまえのやるべきことだから前を向いていけ!」と言われたことによって、私の気持ちが変わりました。

 

 

未だに私は歩けるようにはなっていませんが、両親から言われた言葉は諦めていません。夢は絶対に叶うはずだと思っています。これからの5・10年後も誰も分からないと思っております。現在では当たり前になったスマートフォンだって、5・10年前には想像できだたろうか?誰も想像できなかったはずです。

 

だから日進月歩で動いている現在においては、可能性はあると思っています。ノーベル賞を受賞した山中伸弥教授の開発したiPS細胞によって、もしかしたら脊髄を損傷した人でも復活する日は近いでしょう。

 

私に希望の言葉を述べてくれた父は、残念ながら10年前に他界しました。私の歩ける姿はみることができませんでした。でも私はいつか歩ける日を目指して諦めずに頑張りたいと思っております。

バリアフリーの調査をして発信していくことが日頃の活動になった

車椅子生活になったことで健常者の頃とは違った生活になりました。気軽にあちこち外出することができなくなりました。車椅子で利用できるスポットかどうかのチェックをしなければなりません。

 

多目的トイレの有無・身障者用駐車スペースの有無・段差の有無など事前に知っておかないといけない情報がたくさんありました。私が車椅子生活になった1996年頃には、車椅子団体が出版している本しかなかったのを覚えています。

 

その本に掲載されているほとんどの情報が、国・県などで運営されているスポットばかりでした。一般的なスポットは全く掲載されておりませんでした。しかも写真の掲載もなく、単なる活字だけの内容だったので、普段外出する際に使えるような本ではありませんでした。

 

そんな状況がかなり続きました。そのため私も車椅子生活になって5年位は、仕事や病院に通うことと近隣のお買物くらいしか外出しませんでした。情報があまりにもなかったため、不安ばかりが募るだけの生活でした。

 

それまでは遠出しても日帰りで帰ってくるような強硬スケジュールで臨みましたが、さすがに無理な旅行を辞めて、のんびり楽しみたいと思い、車椅子生活になって初めての宿泊旅行をすることになりました。

 

ところが初めて行ったホテルでは大きなトラブルが待ち受けていて、単なる広いだけの部屋でバスルーム・トイレに入るドアには段差があり、しかも車椅子で入れるだけの横幅もありませんでした。フロントにバリアフリールームであるのに車椅子で利用できない旨を伝えたところ、「我慢してください」と厳しい一言が返ってきました。

この出来事を機にバリアフリーの調査をすることに決めました。世の中にある情報は信用できないと思うようになりました。単なる広いだけでバリアフリールームになるような情報だからです。そこで自分自身の目で確認をして、車椅子でも利用できるかどうかをレポートをすることに決めました。

 

その頃、ちょうどブログという媒体が話題になったので、日記を書くような気軽な気持ちで発信することに決めました。それがちょうど2005年の出来事です。はじめの頃は文章を書くのが苦手だったこともあり、きちんとしたレポートをすることができませんでした。

 

でも読んでくれる方々がいらっしゃることで、ますますいろいろな情報をお伝えしたいと思い、気がついたら12年間で1000スポット以上を訪れておりました。そしてできるだけ毎日発信し続けていき、車椅子のユーザーからはバリアフリーの情報を伝えてくれてありがとうという声を頂きました。それが励みになり現在に至るまでの活動をしております。

関東以外のスポットを知りたいという思いが高まった

私は関東在住なので実際に行くスポットは、関東地方に集中しておりました。もちろん関東地方においても、まだまだ行ったことのないスポットも数多くあります。しかしバリアフリーを調査していて、「全国のどのスポットがおすすめですか?」と質問を受けたときに、関東地方以外のスポットを答えることができなかったのが自分自身で悔しかったのです。

 

でもサラリーマン時代には長期で休暇をとることは不可能です。全国に行きたくても単発である地域だけを旅行するくらいでした。徐々に休暇を使ってあちこちの地域には行くようになりましたが、それでも足の踏み入れたことのない地域がたくさん残っておりました。

 

そこで2016年には転機が訪れました。今まで仕事をしながら活動してきたバリアフリーをもとに起業したいと思いました。商売になるのだろうか?とても不安でしたが、44歳となった現在において、自分がやれることは何だろうかを考えた結果、会社を辞めて自分の第2の人生を進もうと思いました。

 

翌年に起業するためにいろいろと準備をしなければなりません。そこで準備期間を想定して2016年12月に会社を退職することに決めました。残っていた有給休暇が31日間もあったので、思い切って念願だった日本1周をすることに決めました。

 

本来であれば温かくなった翌年の6月頃に日本1周をしようと思ったのですが、その頃になると準備が忙しくなることを考えると年内に行く方がいいと判断しました。実際に行こうと思っても、本当に自分ができるのか?ものすごく不安が募りました。

 

体力のない私がいきなり日本1周なんて無理だろうと自分が一番感じていました。それでも行こうと決めたのは、まさに有言実行でした。いろんな人たちに日本1周します!と断言してしまったのです。

 

自分の中では自信がなかったのですが、人に言うからには行かざるを得ないと勇気を振り絞っていました。そうなれば急に行くのをやめたというわけにはいかないので、なんとか予定通りに行動をすることにしたのです。

 

事前にいろいろ考えるととても不安になるので、準備したものは限られています。まず宿泊施設のバリアフリールームがどこにあるかです。これだけは最低限調べておかなければ、いざ旅先で知らないとなると大変なトラブルに陥ることは想定していましたので、まずは全国各地のホテルにおけるバリアフリールームをほとんど網羅しました。

 

これはその後旅行した時にものすごく役にたちました。これをしないで出発したらえらい目に遭うと思います。なぜなら世の中におけるバリアフリールームはかなり少ないからです。トイレに入れない・風呂に入れないというトラブルを招く恐れがありました。

 

次に行ったのは、大体の移動日程です。そうでないと目安がつきません。いくら有給休暇で旅をしていても、最終日には今まで在籍した会社にはあいさつに行かなければなりません。そのためある程度の旅行先だけは決めておきました。

 

但し、道中にてハプニングが起こる可能性が高いので、詳細に目的地を決めることはしませんでした。その他は車に積むための備品をいろいろと購入しました。もし万が一ホテルが見つからなかったら車中泊になるので、その道具もいろいろと用意しておきました。結果としては一度も車中泊になることはありませんでしたが、なりかけたことは2度ありました。

生涯に1度だけでも日本1周することを決意

 

今回は東日本編と西日本編に分けて、旅行することに決めました。どうしても途中で東京で開催される授業に参加しなければならなかったので、一度戻ってこざるを得ませんでした。まずは出発日を決めることにしました。

 

11月14日に茨城(自宅)を出発し、10日間くらいかけて茨城→宮城→北海道→青森→秋田→山形→新潟→富山→石川→福井→茨城のコースで行くことにしました。ラッキーだったのは雪が降る直前だったことです。

 

11月中旬であればなんとか乗り切れるだろうと思っていたのが正解しました。あと10日遅れて出発していたら、豪雪区間もあり、ゴールできなかったのかもしれません。なんとか11月14日の午後に出発したものの、いきなりふと思いついたのがエンジンオイルなどの整備でした。

 

近所のいきつけのガソリンスタンドに駆け込み全て点検してもらいました。エンジンオイルは真っ黒ですべて交換することになりました。思いつかなかったら道中でトラブルに遭っていたかもしれませんでした。

 

茨城南部から仙台港まで約300キロ。常磐道をひたすら北上していき、原発周辺に差し掛かった時は、放射線量が急に上がりました。もちろんその付近にはサービスエリアもパーキングエリアもないのですが、未だに原発事故は解決していないのだと走行しながら感じました。

 

なんとか仙台港から太平洋フェリーに乗船し、北海道の苫小牧港へ向かいました。太平洋は揺れるということを聞いていたのですが、さほど揺れることもなく、無事に苫小牧港へ翌日の昼に到着しました。

 

太平洋フェリーは日本で一番豪華なフェリーということで、個室もきれいでしたし、レストランも充実しており、バンド演奏なども行われておりました。本当に優雅な旅でした。そして以下の日程で進みました。

●11月14日~11月22日(9日間) 東日本編
●11月28日~12月15日(18日間) 西日本編 

 

以上の日程で移動して、なんとか日本1周をしました。途中は波乱万丈がありました。特に東日本編では、慣れない旅のせいか睡眠時間があまりとれないような状態で体調をおかしくしながら旅を進めていました。

 

そのため、5日目の秋田ではもうリタイアしようかと思ったくらいです。さすがに1日200~300キロの距離を移動するのは辛かったですね。東日本編では最終日の9日目まで不安定な体調ながらクリアすることができました。

 

その反省点をすべて西日本編では改善してスタートしました。おかげさまで西日本編では褥瘡(床ずれ)になる可能性のあるトラブルは発生したものの、思った以上に順調にクリアすることができました。最後の方はへとへとでしたが・・・。

 

日本1周だからこそ味わえる醍醐味がある


おかげさまで今までお世話になった人に再び出会ったことや旅先での出会いや各土地での面白いスポット、美味しい郷土料理など最高の27日間でしたこういったことは、日本1周だからこそ味わえる醍醐味です。

 

達成した時は涙が出るほどうれしかったのを覚えております。ぜひとも日程に余裕があるのであれば生涯に1度だけでも日本1周されることをおすすめします。

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