脊髄損傷によって車椅子生活になった後の社会復帰までの道のり

2017.09.15 (金)

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車椅子ライフデザイナーのまおうです。車椅子生活になって21年が経ちましたが、人の支えがなければここまでうまくやってこれなかったと思っています。そういった面では本当にいろんな方々へ感謝しかありません。今回は受傷当時を振り返って、人の生活に差が出来てしまう社会があることをお伝えします。

休職期間中に会社への復帰をすることが願い

私は1996年9月1日に交通事故に遭い、群馬県にある某総合病院へ入院しました。背骨だけでなくあばら骨や肋骨なども折れていたため、2か月間はただ上向きしかできない寝たきりの状態でした。もちろん同じ姿勢だったこともあり、褥瘡(床ずれ)が生じてしまい、さらに悪化させてしまいました。

 

休職期間は、翌年の1997年12月15日まででしたので絶対に復帰したいと考えておりました。11月からベッドでやっと起き上がれるようになり、ベッドの上で簡単なリハビリからスタートをしました。しかし、褥瘡が治っていないため本格的なリハビリができず、褥瘡の治療をしたいことを申し出ても、治療することのできる先生はいなかったこともあり、ただ時間だけが流れていくような状態が1ヶ月以上続きました。

 

このままだと休職期間の終了までに間に合わないと思い、褥瘡治療のエキスパートの病院を両親・親戚を通して調べてもらいました。病院を転院することは意外と覚悟がいることでした。病院側はなぜうちではダメなのか?と思うものです。でもどうしても会社に復帰したいという思いから、1月初旬に東京の某総合病院へ転院することにしました。

 

当初は褥瘡手術だけしか出来ないだろうと思われていたにも関わらず、顔のキズの手術もたった2ヶ月間ですべて完了。素晴らしい神レベルのドクターでした。しかもPT室でのリハビリも実施して何もかもがうまくいった状態でした。

 

その後、運よく本格的なリハビリができる国立身体障害者リハビリテーションセンターへ転院。ここでは予定通りのリハビリメニューをこなして1997年9月末に退院。自宅で社会復帰のための準備をして1997年11月21日に会社へ復帰することになりました。

 

ようやく何とか1年とちょっとで社会に出ることができました。いろいろな人たちを見る限りでは、私はかなり恵まれていました。とにかく多くの方々のおかげによって、すべてがうまくいったというのが本音です。

労災でも戻れない会社がある社会

私の知っている方々は、労災なのに戻ってきても仕事をする場がないという理由から退職させられたり、受傷~リハビリまでの期間が長くかかったことで、休職期間が過ぎてしまったために自動退職となった人が多くいました。さらに当時は省庁が違うこともあり、病院のリハビリ(厚生省)~職業リハビリ校(労働省)への入所がスムーズになっていなかったことで、病院を退院しても、1・2年待たされてから職業訓練を受けていた方も大勢いました。そのために社会復帰までの期間が延びてしまうケースが目立っていました。

 

その中でも一番気になったのは、私が群馬の病院に入院した時に、同じ脊髄損傷(確か部位もあまり変わらなかったはず)で入院した方がいました。その方は当時40歳くらいで、お母様が高齢で病院内に寝泊まりしていました。

 

びっくりしたのが、私が1年間の療養を終えて社会復帰した後に病院へご挨拶に行ったときの事です。その方は当時の状態のままで、本格的なリハビリも開始されておらず、同じ病棟での入院が続いておりました。

誰かに助けてもらうことも大事なポイント

1年という歳月の中でどういうことがあったか分かりません。でも行政のサービスなどによって本格的なリハビリを受けることができなかったのか気になります。私は両親・親戚・友人の力がなければ同様な状態になっていたと思います。それが日本の社会なのかと痛感しました。

 

苦しい時に誰かが支えることができるような形になることが望ましいと思っております。もちろん本人の発信力も必要だとおもいますが、障害が有無に関わらず困っていることに気づく社会になってほしいと願っております。

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