障害者に対するイメージを変えることはコミュニケーションをとっていくこと

2017.08.29 (火)

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車椅子ライフデザイナーのまおうです。先日はNHKの番組で健常者と障害者の垣根を払うような番組をやっておりました。今回の番組は、上から目線で見るような主旨になっていなかったことが、障害者側からすると観ていて面白かったです。

障害があるから助けてあげよう番組はもう古い

ただ残念ながら番組によっては、「障害があるからかわいそう」「障害があるから大変だ」というようなものがあり、そういった環境ならば「助けてあげよう」という主旨になってしまいがちです。これは明らかに今の時代には古いものです。なぜならそうなることで、障害者の気持ちからすると、なぜか上から目線で見られているような感じがどうしても否めません。

 

以前、オーストラリアのステラヤングさんは、学校に通っているだけで賞をもらったことがあるそうです。本人は特に何かをしたわけではないのに、賞を渡す側は「障害があってもよく頑張った」という気持ちだったそうです。

 

健常者の時期が24年間あった私からすると、その渡す側の気持ちはよく分かります。でもそれはどうしても上から目線となってしまいます。障害を持った人からすると、決して嬉しいものではありません。

 

先日の私が受けたセミナーでも、「特別な人に特別な優しさを提供しようという意識からは、こころのバリアフリーは実現されない」とおっしゃっておりました。

健常者から見た障害者像を勝手に作ってしまうところに課題

特に日本人は、健常者から見た障害者像を作ってしまいがちのような気がします。だから障害者に対するバイアス(偏見・偏り)が生じてしまうのではないかと思います。NHKの番組内でもある1人の障害者がこんなことをおっしゃっていました。

 

私がたばこを吸っていると、周りの人から「なぜ障害者なのにたばこを吸うのか」「障害者がたばこを吸うのは税金泥棒だ」というようなことを言われるそうです。これは明らかに障害者に対する偏見でしかありません。障害者であっても健常者であっても変わらないはずなのに、「障害者だから〇〇」という勝手なイメージができてしまいます。

 

私も以前、街中で「障害者だから無理して出歩かないでください」と言われたことがあります。その人にとっては、「障害者だから行動的に過ごすのは身体に良くない」とあなたのために私は忠告しているのですと得意げに言ってきた人がいました。でも私にとっては明らかに余計なお世話です。

 

また人によっては「障害者=善人」のような構図に当てはめてしまう人がいますが、もちろん障害者といえど一般の人なので、決して善人ではないのです。別にどこかで善人になるための修行をしたわけではありません。これはこれまでのメディアと学校教育の在り方における問題点だと思っております。

お互いのコミュニケーションをとっていくことで相手に気づく社会

だからこそきちんとした形をこれから伝えていくことが大事なことだと思っております。どうしても多数派に都合良く作られた社会のルールや仕組みが、人に困難をもたらしているので発想の転換をしていく必要があると思います。

 

バリアを見つけてそれを解決していくためのコミュニケーションが必要であり、少しでも障害の有無に関わらず、人の困りごとに気が付くような社会になっていくことを心から願っております。

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