障害を受け容れることは容易ではないが、諦めないことがチャンスを呼び寄せる!
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車椅子ライフデザイナーのまおうです。私はちょうど20年前の1996年9月1日に交通事故に遭い、それ以来、脊髄損傷者として車椅子生活をしています。その中でも一番大変なのが「自分の障害を受け容れること」なんです。
障害を受け容れることは容易ではないが過去には戻れないさすがに本人だけでなく家族にとっても「障害を受け容れる」ことが課題になります。私のような脊髄損傷を負った方は、医師から告げられる「一生車椅子生活になります」という言葉は、どのタイミングで告げられるかわかりませんが、必ず聞くことになります。
告げられたらどんな人でも、お先真っ暗な状態になります。もう一生歩けないのか?歩けないのなら生きていても、つまらない人生しか送れないんじゃないか?と悲観的な気持ちになるのは、誰もが通る道です。そこから本人の中で葛藤が始まります。あの時に事故にならなければ・・・、あの道路を通らなければ・・・など。
難しいことは本人に告げるタイミングと覚悟
私の場合は、事故の翌日に告げられました。母はあえていつも話している口調で「もう歩けないらしいよ。ダメみたいだよ」とボソッと言いました。タイミングを図っていたと思います。でもその瞬間は、本当にショックでした。その夜の私は、涙が止まらなかったですね。でも次の日は意外に気持ちが切り替わっていました。
父がその後、こう言ってくれたんです。「今は歩けないかもしれない。でも未来は誰にも分からない。今では当たり前の技術だって10年前は想像つかなかったことはたくさんある。だから5・10年後に医療技術が発展した際に手術を受けられる準備だけはきちんとしておけ。きっと歩ける日がやって来るから」と。
今はダメでも未来は誰も分からない。チャンスは来る!
その後、父は10年前に亡くなり、私が再び歩く姿を見ることはありませんでした。ただ父が言ったように、現在となった今では医学が進歩をして、iPS細胞の再生治療の可能性が出てきました。現在、何気なく使っているスマホだって、10年前は予測すらつかなかったものです。だから未来は分からないし、もしかしたら予測のつかない凄いものまで登場するわけです。
私に歩ける日が来るかどうか正直わかりません。でも、過去を悔やんでも何一ついいことはありません。私は事故で死ななかったことが、とにかく良かったと思っています。生きていれば何かしら新しい発見や出会いがあります。
車椅子生活でも活躍できるステージはあるはず
当然、辛いこともあります。でも人は想いがあれば乗り越えられると思っております。そこにはいろいろな人がピンチなときに支えてくれるはずです。また自分も気づかないうちに誰かを支えていると思います。
まさに「ONE FOR ALL, ALL FOR ONE」です。そうやって生きていけばきっと楽しいことがたくさんあるはずです。私が20年間車椅子生活であっても、活躍できるステージはたくさんありました。会社の中では、一般の健常者に交じって課長にまで昇進することもできました。そのためにはどんな局面があっても、人は挑戦し続けるで道は開けると思っております。
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