(入院翌日)もう二度と歩くことができないと宣告される
~1996年9月1日入院して、9月2日に母から歩くことができないと宣告された~
入院して運ばれたのは脳神経外科病棟の個室。個室と言っても有料個室ではなく、ICUのような特別な治療用の個室でした。入院したのが1996年9月1日で、その日はそのまま眠ることになりましたが、朝目覚めても身体が動かないんです。自分でベッドから起き上がることもできない・・・
なぜなのか分からないまま、午後を迎えました。付き添ってくれていた母に「足が動かないんだけど、そのうちに動くよね?」と質問したところ、「もうだめみたいだよ」とボソッと告げられました。受傷日の翌日でした。
私たち家族のやり方が世間的に良かったのか悪かったのかは分かりません。脊髄損傷者によっては、告知されたことによって、長い間悩み続ける人もいますし、残念ながら人によっては命を落とす人もいると聞いています。ただ生きていく上では、自分自身が受け入れなければならないことでもあります。
そのためがんの告知と同じように、家族は当人にいつ話すかどうかを相当悩むはずです、私の家族の場合においては、私のためにはあえてすぐ話した方がいいと決めたそうです。それは私の性格からも長く落ち込むタイプではないと知っていたからでもあったようです。
告知する話し方についてもあえて深刻そうにではなく、普通の会話のようでした。当時はそんな内容を深刻そうに伝えなかったのか気になりましたが、深刻そうに伝えなかったことが私にとっていいはずだと判断したそうです。私もそのおかげで深刻に悩んだのは、その日の夜だけで済みました。
もちろん、その後あれもこれもできないと悩むことはないわけではありませんが、自分が生きていく上での未来について考えるようになりました。特に父と母が言っていたのは、「今は歩けないかもしれない。でも未来は誰にも分からない。今では当たり前の技術だって10年前は想像つかなかったことはたくさんある。だから5・10年後に医療技術が発展した際に手術を受けられる準備だけはきちんとしておけ」と。
まさに今は充電しているんだと思うようになり、不安は一気に解消したと思います。父は2007年に他界しましたが、父が亡くなった後にiPS細胞の発見もあったのでもしかしたら今後脊髄損傷者が歩ける日が来る可能性も出てきました。あの時、父と母が言っていた言葉がまさに今になって正しかったと感謝しております。
つづく・・・
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