(入院当日)交通事故に遭い、気が付いたら病院のベッドの上でした。

2017.02.05 (日)
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~1996年9月1日交通事故に遭い、群馬県の伊勢崎市民病院へ搬送~

車椅子ライフデザイナーのまおうです。1995年4月にジャスコ(現 イオンリテール)に入社しました。配属先は埼玉県の神保原駅前店(埼玉県上里町)※現在は閉店   上里町というのは埼玉県の一番北部で、関越自動車道の上里SAがあることで有名です。上野から電車で90分離れた街で、私はその隣の市町村の埼玉県本庄市に住んでいました。

当時のジャスコは今のように首都圏に店舗が少なく、東京には2店舗(葛西・御嶽山駅前)のみ。埼玉にも4店舗(川口・北戸田・大宮・神保原駅前)しかありませんでした。学生時代に東京に住んでいたので、そのまま首都圏の店舗を希望しておりました。しかし配属されたのは埼玉県北部の神保原駅前店。

神保町なら知っているけれど、神保原ってどこ?そんな状態で着任したのを覚えております。あとで人事担当者から聞いたのですが、「あなたは長く勤めていただけそうなので関東でも遠い店舗にしました」との事。その話を聞いて、わざわざ遠い店舗にしなくてもいいんじゃないって思ったものです。

東京に住んでいた頃は、公共交通機関には何一つ不自由しなかったのが、神保原ではJR高崎線が走っているだけで、どこへ行くにも車が必要な地域でした。でも新入社員の私には、車を購入する資金を持っていなかったんです。数ヶ月はどこに行くにも自転車を利用していましたが、駅前から2キロ圏内くらいしか移動することができず、ホームシックのような状態になっていました。

その時に、会社の先輩が海外に赴任することになり、スクーターを処分することになったという話を聞き、処分するなら私が買いますということになりました。価格は3万円。高いか安いかは分からないですが、スクーターを所有することで北は群馬県の高崎や伊勢崎市、南は埼玉県熊谷市あたりまで行くことが可能になり、行動範囲がかなり広がりました。

その後、会社に入社して1年半後の1996年9月1日、群馬県伊勢崎市にて交通事故に遭ってしまったんです。国道走行中にスクーターで右折し終わった際に、前方からスピードを落とさなかった車と衝突しました。事故の相手は、別れた奥さんとの間に出来た息子に会った帰りでぼうっとしていたと私たち家族に言っていましたが、その後の警察への証言ではその内容について一切触れず、自分自身の運転を正当化されていました。

今でも私たち家族に言った言葉を録音しておけばよかったと思うくらいでした。それにより、示談になるまでには数年かかることになりました。事故の内容に戻りますが、衝突した瞬間のことはあまり覚えておりません。気が付いたら伊勢崎市民病院のベッドの上でした。目を開けると茨城から父と母が病院に駆けつけていました。そこからが私の脊髄損傷になったスタートです。

つづく・・・

 

 

 

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