共生社会のためには障害者の「害」にこだわるよりもっと大事な事とは?
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車椅子ライフデザイナーのまおうです。最近では、障害者の表記が「障がい者」や「障碍者」になっていたりすることが多くあります。世間では、障害者は害ではないからひらがなにした方がいいと言う声もありますが、障害者本人に聞くと同じような反応ではないことが多いように思われます。
漢字表記の「害」が気になり始めたら「障」まで気になってしまう。
私が障害者になったのは21年前の1996年。その時には「障がい」や「障碍」という言葉はなかったと思います。その後、いつの間にかひらがなが目立つようになりました。確か岩手県のある自治体から広がったものだと認識しております。
但し、世の中における法律においては、「障害者差別解消法」を見てもわかるように漢字表記のままです。NHKも漢字表記のままです。私はあえて漢字のままでいいと思っております。
むしろそこにあまりこだわりを持っていませんが、そんなに気になるのであれば障害の「障」の字も気になります。意味は「じゃま、さえぎる、さしさわり」です。そうなると障害者の表記は、「しょうがい者」になってしまうかもしれません。こうなるとますますおかしくなるように思えます。
「障害は社会の側にある」という考え
それでも私的には、以前発表された千葉市長の考えがふさわしいと思っております。千葉市長の熊谷氏の考えは下記の通りです。
「障害者」とは「社会の障害」でも「身体に障害を持つ者」でも無く、「社会との関わりの中で障害に直面している者」という意味であり、私たちはその障害を一つひとつ解消していくことが求められている、と理解しています 。
さらに次のような回答もしております。
その考えから、私は「障害」を「障がい」と置き換えることには反対です。
「障害」という言葉が引っかかるからこそ、それを社会的に解消しなければならないわけで、表現をソフトにすることは決してバリアフリー社会の実現に資するものではありません。
あくまでも私たちの暮らしの中において、「障害は社会の側にある」ということで、社会をとりまく環境が変わっていくことによって、暮らしやすい社会になっていくと思っております。
障害者を見ると「かわいそうだ」「大変だね」と思ってしまう社会
しかし、日本では健常者が障害者を見ると「かわいそうだ」「大変だね」というような目でしか見られないのが実情です。障害者を見て「かわいそうだから助けてあげよう」という気持ちだけでは、いつまで経っても共生社会には程遠いと思われます。
最近よく言われている言葉に「感動ポルノ」という言葉があります。オーストラリアの障害のある女性(ステラ・ヤングさん)が発言した内容です。障害者が学校に通っているだけで達成賞を与えようという社会の動きがあったようです。でも本人は何か表彰をもらうような事をしていないのになぜ?と思ったそうです。
健常者からは「障害者なのに頑張ったね」と思ってしまうところが、障害者本人とのずれを生じさせています。私も以前は健常者だった立場なので、その気持ちは分かります。でも実際に自分が障害者になると今までの考え方では、決して社会は障害者にとって暮らしやすい環境にならないと思いました。
学校教育の中で障害者との触れ合う機会がないことが影響している
やはり私たち大人は学校教育の中で、障害者と触れ合う機会がなかったためにどうしても日常生活の中で障害者を見ても、対等な立場というようには見れないのかもしれません。だからイメージの世界だけで「障害者=○○な人」という見方が出来てしまいます。
今後は学校教育の中で「こころのバリアフリー」が義務化されることや、今では学校の中に障害者もいる環境になりつつあるので、子供たちの方が大人よりも共生社会に関心を持つのかもしれません。今後の課題は、少しでも社会のバリアを取り除いていくことだと思っております。
それでもハード面(建物・設備のバリアフリー)を変えようとしてもコスト的には限界があります。なかなか思いだけでは、変えることができないでしょう。だからこそソフト面(応対などのこころのバリアフリー)によって物事を解決していくことが望まれます。
障害の有無ではなく困っていることに気づくような社会が大事
今回の障害者と障がい者の件においても、漢字の表記よりもっと大事なものがあるんではないかという声が多く、「害」が漢字であることにはさほど気にならないという方が目立ちます。もちろん人の考え方なので人それぞれだと思いますので正解はないはずです。
大事なのは、「障害者=困っている人」という視点ではなく、障害の有無ではなく「困っていることに気づくような社会」になっていき、気軽にお互いが対等の立場でコミュニケーションを取れるような共生社会になっていくことを願っております。
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