大多数側にいると少数側の気持ちに気づきにくい理由
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車椅子ライフデザイナーのまおうです。大阪府立の高校に通う女子高生が、生まれつきの茶色い頭髪を黒く染めるよう学校側から繰り返し強要され不登校になったとして、大阪府に約220万円の損害賠償を求めた事件がありました。
少数の側にいる人の気持ちが分かることの大切さ
学校側は金髪の外国人留学生でも規則なので黒く染めさせる指導をしているようですが、差別を助長しているような感じがしました。大多数の側にいる人にとっては、少数の側にいる人の気持ちが分からないのかもしれません。
テレビのコメンテーターによると、この問題は海外でも話題になっていると話しておりました。BBCやCNNでもこのニュースを取り上げているようですが、日本人にとってはそこまで大きな問題ではないのに?と思っているのかもしれません。理由は関心がないという点だと思います。
なぜこのニュースを見て気になったのかと言いますと、障害における部分にも似ていると思っております。日本人というのは大多数の側に立っていると、少数の側の気持ちが理解しにくい点が挙げられます。
障害者になると少数の側にいる人になってしまう
私は21年前は健常者でしたので、健常者の時に感じていた立場と障害者になってからの立場が分かります。つまり大多数の側にいた時と、少数の側にいる時の両方の気持ちが分かります。
10年以上前に中山競馬場で年末の祭典である有馬記念の観戦に行った時のことです。私と友人(健常者)の2人で早朝から入場の列に並びました。開門時間の1時間以上前から12月の寒い中で待っていました。
車椅子席はネット予約ができないために、健常者はネット予約ができるにもかかわらず、障害者は現地に並び早い順で購入できる状態になっています。私の前には1人(車椅子ユーザー)で並んでいる人がおりました。
車椅子席を現地で購入しようとした私の前にいた彼は、必死で受付に伝えても購入を断られてしまいました。理由は「付き添いの人がいないから販売できません」との事で、彼は早朝の寒い中から並んだにもかかわらず購入することができませんでした。
私から見たらおかしいのでは?と思うようなことですが、一般の人からすれば彼一人が車椅子席を購入できなかったことは、大したことではなくさほどの関心も持たないでしょう。
自分たちに関係しないことを理解する意味
なぜなら自分たちの生活には関わらないからです。今回の金髪の高校生についても、自分たちは黒い髪をしていれば何も注意されることのない状態だと思います。だからこそ自分たちには関係なければ、相手に対しての気遣いもできなくなっている社会が現在の日本ともいえます。
今後は東京オリンピック・パラリンピックを迎えます。多くの外国人が来日されることでしょう。でも現在のように大多数の側でしか考えられないような社会では少数の人である外国人の気持ちを汲み取ることができるのでしょうか?
日本はおもてなしの文化です。ものすごく素晴らしいものをもっています。今こそおもてなしの文化を応用していくことで、少数の側に立つ人の気持ちも分かるはずです。そうなることで差別がなくなるような社会になることを願っております。
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