障害者と健常者との共生社会になるまでの歴史的背景とは?
Contents
車椅子ライフデザイナーのまおうです。最近いろいろな活動をしているとよく聞く話が「車椅子を利用している方と話したことがない」という事です。なぜこれだけ街中に車椅子を利用されているのに接点がないのだろうか?
昔は小中学校に障害者が通学するような想像がつかなかった
私は第二次ベビーブームの世代で、SMAPの中居くんやキムタク、マツコ・デラックスなどと同い年です。その世代において小学校・中学校に車椅子を利用しているような生徒はいませんでした。
もちろん今と違って学校にはエレベーターもなく、トイレですら階段の踊り場にあるような古い校舎でした。そうなるとハード面で対応できていない学校に通うことは想像がつきませんでした。
そのまま学校を卒業して社会人になっても、車椅子を利用している方との接点は一切なかったですね。恥ずかしいことに、自分が働いていた職場(農産売場)のすぐそばに身障者用トイレがあったことも、自分が車椅子生活になって初めて知ったくらいです。お客さまにも車椅子を利用されていたような記憶はありませんでした。
私自身が上記のような状況であったため、一般の方が車椅子を利用している方を知らないのもおかしくありません。その原因はいろいろと書籍を読んでいて、初めて知る事実がありました。
昔は国の制度が整備されていないため自宅から外出できない方が多かった
今から30年位前は、国の制度もしっかり構築されてきていなかったので、障害を負った場合は自宅にこもりっきりだったようです。特に家族に障害があったら、外に出さないというような時代があったと聞きました。だからこそ、世の中に障害を持っている人を見かける機会がなかったことも考えられます。
私の友人は、両親が一般の健常者と同じように過ごすよう教えてくれたことをとても感謝しておりました。だから一般の学校に通うこともできたと言っていました。ただ当時の学校からは「何かあったら責任がとれないから難しい」と厳しい言葉を突き付けられたそうです。でも両親はあきらめなかったから今の自分があるとの事。
障害者に対する社会が変わったのは乙武さんの登場が大きい
障害があることで腫れ物に触るような時代が長く続きましたが、その時代を変えたのはまぎれもなく「乙武さんの登場」でした。乙武さんの著書「五体不満足」の大ヒットによって世の中が少しずつ障害のある人に対しての目が変わっていったと言われています。
その他には、今のような自走の車椅子が少なかったことも影響していると思います。発展途上国では、現在日本で乗っているような車椅子ではなく、リアカーのような車椅子を見かけたことがあります。舗装道路の整備も今ほどではなかったならば車椅子の利用できる環境ではなかったのかもしれません。
障害者と健常者との共生社会を通してコミュニケーションが必要
今後は高齢化社会や2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催などバリフリー化は一段と進んでいく社会環境に変わっていくはずです。でもハード面だけが整備されても万全ではありません。重要なのはこころのバリアフリーです。障害者と健常者との共生社会を通して、コミュニケーションをとれる関係になることです。
関連する投稿
- 社会が障害を作ることで車椅子のバリアフリーが妨げられてしまう
- 東京パラリンピックのためには関心度を上げていく必要性
- 障害者といえばスポーツとイメージされる中での実態は?
- 日本の大きな課題は人のお困りごとに気がつく「こころのバリアフリー」
- 障害者と健常者との気軽なコミュニケーションをとれる共生社会へ
現在の記事: 障害者と健常者との共生社会になるまでの歴史的背景とは?